ただ思うままに淡々と感じたことなどを綴るブログ「時々僕」: 8月 2012

2012/08/19

切り捨て御免

泣く子も黙る居酒屋チェーンワタミの会長である渡邉美樹さん。

賛否両論色々あるだろうけど、僕はこの人のことが好きだったし、

実際すごく尊敬してたし、伝え聞いていたこの方の半生がすごく刺激になっていた。

なので、色々と言われる中でもそれでも法人としてのワタミと

渡邉美樹さん自身とは切り離していつも考えていた。


そんな中すごく気になるニュースを目にした。


ワタミ会長 いじめ発覚なら担任教師の給料下げるべきと提案

 

正直「いじめ」という話題には僕はあまり触れないようにしてきた。

というのも、それはすごく難しい問題だし、

SNSなどでは時折とりあげたりするけど、

実際問題僕が何か立ち上がって行動をしているわけでもない。

そして、いじめは駄目だといいながらも、

僕も実際幼き頃はいじめをしていた加害者だったからだ。

最近のニュースで見かけるような、

人の命を命とも思わないようなそんないじめじゃなかったかもしれないけれど、

結局は一緒だ。僕もクズのひとりだ。

他のクラスのメンバーと一緒に、不必要に特定の人間をからかい面白がっていた。

今考えれみてれば本当にクズだし、

むしろその時も実際自分がクズなのは分かっていたはずだ。

最低だと思う。

地元にいるときに、そんなイジメをしていた本人が大人になってから見かけることがあった。

すごく元気にされていて、そのおかげで僕は心なしか勝手に救われた。

だからなおさらクズなんだと思う。

殴って、蹴って、暴力を振るえば

そしたら僕は捕まって少年院に行き、罪を償うこともあったかもしれない。

しかし、僕がつけた傷は心の傷だったからだ。

今、ご本人がどう思っているかは分からないし、

あった時に「お前しねよ!」って言われても何も言い返せない。

だから、僕はいじめに関して時折ふれることはあるけれど、

何か大きな行動に移せないでいる。

罪滅ぼしと思って、いじめは駄目だと言いまわっているわけでもない。

いじめの加害者だったくせにって言われればそうだと思うから

本当に何も言い返せない。

あの頃は今ほど大きくイジメで自殺をするなんてことが

ニュースを駆け巡る時代じゃなかった気がする。

でも、もし今みたいな状態だったら、もしかしたら僕は死に追いやっていたかもしれない。

大人を責めるつもりは全くない。

学校の先生達は気づいていたか、気づいていなかったかも分からない。

でも、大人と呼ばれる年齢になって、

あの時担任だった先生達と同じ歳になって思うこと、

それは、先生はきっと気づいていたと思うこと。

学校の先生が、いじめに対してどういう教育を施されているかは実際のところよく知らない。

けれど、おそらくはマニュアルではどうしようもできなく、

そして教師という存在が実際は神様でもなんでもなくて、

むしろ結局は何も出来ない単なる小さい一人の人間だということに気づいてしまうんだと思う。

何も出来ないんだろう。

僕も今教師だとして、一体何が出来るのかは分からない。

「いじめ」なんて問題はずーっと起き続けている問題。

なのに、どうしていいか対処方がわかんないんだ。

だけど、そのままでいいわけなんかない。

話を少し戻そう。

冒頭でリンクを貼った記事。

渡邉美樹さんは一体何を言ってるんだろうか?

いじめが発覚した 減給?

ふざけるな!!!

だから、何も変わらないんじゃないか。

大津の事件は一体どうしてあんな自体になり、

そして発覚後もどうして、ああやっていじめじゃないと言い続けているのか?

いじめが発覚したら、いじめと認めたら、欠陥教師、欠陥学校と烙印を押されるからだろう。

いじめなんてものは、人がいっぱいいるコミュニティじゃ日常茶飯事に発生している。

起こしたくなくても、起きてしまう。

教師の教育の仕方が悪いからいじめが起きるの?

そうじゃないだろ。

問題はいじめが起きた時にどう対処するかだろう。

僕は、こんなクズの僕がいっても何も響かないかもしれないけど、

いじめが発覚したら減給なんかやめてしまえ!

いじめを見つけたら、それこそ褒めてやれよ。

もちろん、いじめを見つけたら報奨金なんて仕組みにしたら

また下らないアホなやつが、いじめをしろと指導したりなんて起きそうだからやめておくが、

いじめという問題にまっすぐに向き合うには、

いじめというものは当たり前に起きるもので、

それが発覚しても、発見しても、教師をとがめちゃ駄目だし、

ましてや、それを隠そうなんてするような制度を作っちゃだめなんだよ。

僕は渡邉美樹という人を尊敬していたが、

今回のことで、尊敬している人リストから外そうと思う。

最近の政治や、偉い人達が一体何を言っているのか本当に分からない。

学校という仕組みに評価なんてものがあるから駄目なんだ。

寺小屋の時代のようじゃ駄目なの?

私立だからいいの?

というか、色々な教育現場で、相談役なりなんなりをされているアナタが

そんなことを言ってくれるなよ!

子どもはモノですか?

教師にとってはA4プリンターから排出されるテスト用紙ですか?

大人にとってみれば、子どもはただの評価の道具ですか?

もうだったら教育なんていらないよ。

識字率だけ保てればいい。本当に寺小屋でいいよ。

一体なんなの?


頼むから、いじめられている子達が、

何も言えずただ我慢をして、そして死においやるようなそんな社会を

これ以上形成しないでくれ。

弱いものは切り捨てればいいような。

刀を持った人達だけが道の真中を歩けるような時代は

もうとうの昔に終わったはずだ。 

頼むから。本当に頼むから。

言葉の力を持った人、権力を持った人、

本当に頼むから、そんな社会にこれ以上しないでくれ。

2012/08/16

終わりはやめる時

この話題はどこで書くか微妙だし、

ここのブログでもない気がするからあれなんですけど、

複数のブログをやっていると、

毎日何かしらのブログ更新をしてはいるものの、

それぞれのブログの更新頻度は微妙に悪い。


ひとつにまとめてしまえばいいのにっていう声もあるが、

それぞれがテーマが違うので、

ひとつにまとめるとごちゃごちゃしてしまう。

なので、このままいくつものブログをやろうと思っている。


先日始めたEDM+というブログ。

僕的には久しぶりにがっつり本気でやりたい内容。

僕の数あるブログの中でPVが一番おおいのはKLOGというサイト。

これだけいっぱいやるスタートのブログで、

最初から気になる情報だったらとりあえず何でも書いちゃおうと始めた。

正直いまほどアクセスがあるとも思ってなかったけど、

それなりに僕なりの運用ポリシーみたいのがあって、

よくある情報ブログやまとめブログでたまに見られる

突然紹介記事とかじゃなくて、急に回顧録とか日々あったことを入れるやつ、

あれは絶対にしないと決めていた。

僕的にあのサイトはブログというよりあくまでも情報サイトなのです。

いや、確かにブロガーさんとかが「こうやったらブログが人気がでる」みたいなのって

面白かったりするので、読むことは非常に多いのですが、

なんとなく僕はあのサイトであれをやりたくないんですよね。


なんか違うんです。


まあ、今僕がそんな記事を書いたところでっていうのもあるので、

結局のところ書くことはないのですが、

そんな話じゃなくて、更新頻度の話。


結局色々やっているのもあってそれぞれの頻度は非常に緩やか。

それどころか、急にネタ切れになることもある。


僕ってRSSで情報収集していたりとか、

2chに張り付いていたりとか、そういうのしてないんですよ。

というか2chは正直開いてもなくて、まとめサイトで見るくらい。

RSSも全然使ってなくて、結局のところ適当にくるくる流れてくる情報から

気になったものを撮って出ししているような感じ。


なので、突然ふとネタが止まるんですよね。


以前はそれで、焦ったり、

むしろサイトの更新がパタッと止まったりしていたのですが、

同時期にブログを始めた割りと仲良くさせてもらっているブロガーさん達が、

どんどんブロガーとしてすごくなっていって

もう全然僕なんかより遥か雲の上さんになっているのを見て、

「あ、別に僕は頑張る必要はないのか」って気付いたんです。


ちょっと一時期更新が止まった時期があって、

その時の一番の理由が「頑張んなきゃ」だったんです。

更新されてない期間が開けば開くほど

ひさしぶりの再開だから、すごくよい記事書かなきゃって勝手に脅迫されていました。

僕のブログを訪ねてくれている人はいるとはいえど、

別に僕に何かの期待を抱いているわけでもなく、

というか全然有名ブログでもなく、むしろ全く無名なわけで、

有名ブログになりたいって思っていたこともあったのですが、

そんなのは他の方々がやってくれているので、

僕は細々と好きなことと、好きな記事を書いてあげればいいんだって

ブログを始めた当初の気持ちに戻ったんです。


なので、数日更新が止まっても基本は焦りません。

いや、全くといえば嘘ですが、

とりあえず誰に何を言われようがマイペースでと。


ブログが更新していないと、確かに死んだも同然だと思います。

そして、駄記事でも更新を続けることで

勝手にPVは増えていきます。

つまり、更新しないブログは本当に人がこないゴーストタウン。

でも、それでもいいんです。

終わりを決めるのは自分。

レンタルブログなどで、そこの会社がブログサービスをやめるとかで無い限り、

終わりを決めるのはあくまでも自分なんです。



タレントさんみたいに、所属事務所に無理矢理やらされたもので無い限り

なんとなく始めたブログであるのが大半。

なんとなくやってればいいんだと思います。

それを誰も責める必要もないし、揶揄する必要も無い。


「私、いつか小説家になりたいんです」

なんて言っている人が、ブログさえもまともに更新できなくてもいいじゃないですか。

その人がモノカキのしごとに就けなくても

誰にも迷惑かかりません。

むしろ、他のモノカキ志望の人達からすれば余計なライバルが減っていいはずです。


いいんですよ。

頑張りたい人は頑張ればいいし、

ゆるくやりたい人はゆるくやればいい。


終わりはやめる時。

それでいいって思います。


さ、美味しいミートパイが焼けたわ。

2012/08/03

グダリンピック

ロンドンオリンピックとっても盛り上がっていますね。

とはいえ、選手たちの活躍が素晴らしいなどのお話よりも

今回はグダグダっぷりが話題になっています。

参考:ロンドンオリンピックがどのくらいグダグダなのかまとめてみた

上記の今井さんところのブログを見ても

どれだけ今回のオリンピックがグダグダなのかよくわかります。


「今までのオリンピックではここまでなかった。」

「ひどすぎる… 」


等の声がいろんなところから聞こえてきます。

僕も個人的にフェアプレイにかけすぎるものを見ていると

普段興味の無い競技などには余計興味がなくなってしまいました。


しかし、これって本当に今回がたまたまなんでしょうか。


前回のオリンピックは4年前。

あれから世間が大きく変わったことがあります。


SNSの普及です。


僕はこれが大きく今回の原因になっていると思っています。

まず一つ目は「情報が拡散しやすいこと」

まずといっておきながらこれが一番メインかなとは思うのですが、

どこかで何か問題が起きた時に、生中継で見ている人以外は

基本的に翌日のニュースなどでしか目にすることはありませんでした。

それどころか、自国の選手が金メダルなどをとれば、

そちらの方にニュースの時間の大半が割かれるために、

他国同士の闘いやマイナーな競技などは割愛されていたと思います。

ネットであまりに話題になったものに関しては

しばらく時間が経ってじんわりと話題になる程度。

しかし、今は話題になれば中継を見ていない人間の目にも


TwitterのリツイートやFacebookのシェアなどで

勝手に情報が目に飛び込んできます。

それどころか、そういったソーシャルニュースというのは

ひとつの飽和状態のおかげもあって、

大手メディアじゃ取り上げないような、ちょっとした事件なんかに


すぐに飛びつくように出来上がっています。

そして、それを補助しているのがYouTubeを始めとする動画サイト。

生中継じゃなくても観ることが出来、


伝聞で噂程度のものが、実際に動いている映像で確認できるのです。




どこかの国が暴力的プレーだったと言われても、


その人がちょっと誇張して表現しているんだろうって思って

今までだったらそこまで取り上げなかったことも

実際に映像を見ると「これはいかん!!」となって

一緒に拡散協力なんてことは日常茶飯事です。




SNSによって情報が拡散しやすくなったことによって


今までよりも目につきやすくなったというのが


今回の「グダグダすぎる…」という、

美女シリーズみたいな冠がつく原因なんだと思います。



そして、2つ目が「意見が届きやすくなったこと」

これは実際にはひとつめとほぼ同じなのですが、

今までであれば、スポーツのルールや判定というのは

その団体の偉いさん達が決めるもので、

いや、もちろんちゃんと考えて作られてはいるのでしょうが、

ちょっとやそっとじゃそんなに変わらなかったと思います。

これはもちろんインターネットの普及によって

すでにスポーツ界では起きていることなんでしょうが、

ルール改訂がかなり行われてきているという印象があります。

多分、それを助長しているのがSNSによって

実際の競技者達と観客の声が届きやすくなったからなんだろうと思っています。

やれ「◯◯みたいなルールはおかしい。賛同者はRTを」なんて言えば

おそらく団体の偉い人達もそうそう簡単に無視できません。

今までの封書やハガキやEメールのたぐいは

ある程度無視できました。

電話やFAXなどの実際に支障が出るような祭りも

2、3日もすぎれば落ち着くのでちょっと我慢すればよかったのです。

ところがSNSはそれを許してくれません。

それどころか日増しに増幅していきます。

これは、とても大変なことです。

色々なスポーツでビデオ判定が取り入れられています。

今回のグダグダの中で目につくのは「判定の覆り」です。

これも、以前ならここまで受け入れなかったのかもしれません。

(いや、単純に一つ目の理由によって目についているだけなのかもしれませんが)

僕の印象ですと、スポーツの判定って簡単には覆らない。

しかし、今の時代観ている人達の抗議があまりに届き、

「で、あれば最初からビデオ判定しようよ!」ってなったり、

「抗議怖いから、もう仕方ないから覆しちゃう。」だったり、

究極は「覆すのは無理だけど、メダルあげるから騒がないで。 」

みたいな事態を招きやすくしている要因になっているのではないかと思っています。


もちろん今話した2つの仮定は、あくまでも僕の仮定なので、

何の根拠を持ってかって言われたら特に根拠もなく、

仮定どころか単なる妄想だろって言われても仕方ないのですが、

一番間違えないのは、



「4年前と違うのはSNSが普及した」



これだけは事実であること。


もしかしたら、今までもずーっと昔からも

何も変わっていないんじゃないかって思ったりしています。

グダグダなのは今に始まったことじゃない。

ロンドンだからじゃない、オリンピック自体がグダグダなのでは?

そんな風に思っても仕方ない。

まだまだ序盤です。これからも注目の競技があります。

ここまで頑張ってきた選手たちには、余計な声が届かずに

競技に集中してもらえることを切に願います。

SNSがとても楽しく、素敵なものであることを信じて。