携帯のオプション強制加入に文句言ってる人はバリューセットも買わなきゃいい。
ものすごく長いタイトルになってしまいました。
僕は以前、携帯の販売会社で働いていました。
まだSoftbankはJ-Phoneになる前のデジタルツーカーとかそんな時代。
KDDIはIDOとかがくっつく前。
docomoもエリアごとに分かれてて
各エリアじゃなきゃ色々な変更が出来なかった頃。
まあ僕の話はどうでもいいんですけど、
携帯のオプション強制加入なんて
そんな随分前の頃から普通に当たり前だった。
確かに当時は、オプションに入るから1円になるとか
そういうメリットがあったのもあって
買う側も正直そこにあまり文句は言わなかった。
いや、実際はかなり色々言われましたけど。
んで、今回はオプション入らなくても
入っても販売価格は同じはずなのになんで?ってことですよね。
多分。
僕が思うままに書き殴るので乱文お許しください。
まずキャリア側、つまりdocomoとかauとかSoftbank側に関しては
これは別に強制なんかしてないのが事実だと
僕は思っています。
いや、確かにあの頃からずーっと
消費者側には見えない強制はありました。
このオプションをこれだけ月間とったら
来月はこれだけ1台あたりの契約でお支払いしますとかいう仕組みがあって
いわゆる「にぎり」とかってやつ。
分かりやすくいうと、Aというオプションがあって
今月Aというオプションを、その店舗で100件とると200件とるでは
来月以降の携帯会社から払われる金額が違うってやつ。
100件だと、1台あたり1000円プラス
200件だと、1台あたり1500円プラス
とかになったりするんです。
単純に20万ほど入ってくる額が変わる。
これにプラスして、単純にオプションをとる度に1000円とか入るから
更に合計すると利益は全然変わるわけなんです。
原材料がかからない以上、入ってくる金額はそのまま儲けになるわけで
そんなこともあって、昔はキャッシュバックとかもあったんです。
プラスになる額を見越して、にぎり減らすくらいならキャッシュバックしちゃえみたいな。
そんなこんなで、目に見えない圧力?がまず1次代理店にあり、
そこから更にその下の代理店が同じく圧力をかけられて
オプション強制祭りが発生していたわけです。
今の仕組みが同じなのか、変わったなのかは分かりませんが
基本的なところは変わってないはず。
しかも、これヘタすると店のランク付けみたいのにも影響するので
新機種、特にiPhoneとかみたいなすぐ売り切れちゃうやつなんかは
どれくらいの台数が各店舗に振り分けられるかの基準にもなります。
なので、当然頑張らないとあっという間に地域ワースト店になります。
今だったらもしかしたらiPhoneの次回入荷とかにも影響しているかもしれませんね。
あくまでも推測ですけど、
まあそれぞれのキャリアショップでも
安売りのピカっとする全キャリアを扱っているお店でも
大手家電量販店の携帯販売コーナーでも
働いてきたので、当時の仕組みは把握しているだけに
今も大して変わってないんじゃないかね?というのが感想。
そんなの消費者側には関係ないじゃないか!
という声が聞こえてきそうですけど、
嫌なら絶対加入しませんって言えばいいと思うし、
加入しないなら販売出来ませんっていわれたら
強制じゃない店舗を探し出せばいいのかなと思います。
いや、そんなのが無いから問題視してんじゃんって話ですけど
そりゃあ商売ですからね。
キャリアショップだって結局は直営なんてほぼ無いですから
代理店にそれを言うのは酷です。
1円でも儲けたいのは当たり前の話ですから。
ポテトとドリンクとバーガー買って500円なら
ドリンクとポテトを抜いた金額でバーガー売れよって
そんな風に言われているように感じるぐらい
売っている側からしたら「仕方ないじゃん」ってことなんです。
オプション付けなきゃその価格で売らないなんて詐欺じゃんみたいに言われても
こっちとら商売なんだよって。
スーパーで売っている刺し身の大根のほっせーやつとか
意味不明なぷらっちっくの菊のやつとかいらないから
もっと安く売れやヴぉケが!!って言われているくらい
「仕方ないじゃん」って思っちゃうんです。
だからって、じゃあ結局悪しきはキャリアなんでしょ?っていうけど
世の中商売の仕組みなんてそんなんばっかじゃんって話です。
米の流通量を制限したりとかだってそうだし、
売る側の都合はこの際無視ですか?って話なんです。
今や携帯電話は無くてはならないものになってしまって
もはや公社のようなイメージになっていますが、
結局は商売なんで、嫌ならそもそも携帯使うなよ
いや、つか新機種買うなよって話で。
人よりも新しい機種もって
「ふっふ〜〜ん♪買っちゃった。てへっぺ〜ろ」とか言いたいんだったら
いいから黙って買えよって話なんです。
なんか色んなところでこれ問題視しまくっているけど
例えば「はい、半強制的に加入させろと言っています」
ってどこの企業が言うのよ?言うわけないじゃん。
でも半強制に決まってんじゃん。
もうさ、そんなガキみたいな重箱のすみっこつつく人は
とりあえず山手線の全駅でスピードテストでもしてりゃいいし。
と、ここまで販売会社側を庇う発言をしてきましたので最後に。
昔のピンサロじゃないんだから
オプション、オプションってうるせーな!
んな解りづらい販売スタイルとらずに
ポッキリでスッキリさせろよヴォケが!!!
以上。
2013/10/27
2013/10/15
◯◯とお友達だということ
久しぶりにこちらのブログに書きます。
早速本題に入るのですが
よく初めてあった人などと話をするときに
「私実は◯◯とお友達なんですよ」
などという発言をよく聞きます。
この言葉を使うには大きくわけて2つの意図があると僕は考えています。
芸能人やスポーツ選手などの著名な方と知り合いということを
単にアピールして自分はちょっとすごいんですよと
そんな風に見せたい人の場合よく使われます。
最近はテレビやラジオに出ている有名人以外にも
ちょっとしたネットの有名な方、ブロガーやニコ生主やTwitter廃人なんか
その種の方と知り合いであることをアピールして
例えば自分と付き合っていると得ですよって思わせたり
自分はちょっと他の人と違うと言いたかったりという感じでしょうか。
ちょっとした呑み会などで初めて会う方からたまに聞こえます。
ちょっとテレビ関係のお仕事をしていたのもあって
プチ芸能人やプチセレブみたいな人と会うこともしばしばあるのですが
そういったプチな人からたまに飛び出す発言で
大半は結局のところ自分のことが世間的に無名であるから
ちょっとした知り合いなんかを引き合いに出して
自分は他の人と違うとアピールしたいだけだったりします。
例えばそのプチな人も「あー!存じております。はじめまして!」と言うと
実はそんな発言しなかったりもするのですが
(誰だろ?)みたいな顔をしながら話をしてたり
話の中心がその人じゃないと突然アピールしてきたりという感じでしょうか。
そのこと自体は別に聞いた側からするとどうでもいいことだったりしますが
中には面白がって「すごいですねー!」っていう人がいたりするものですから
その人もついつい調子に乗って話してしまうところもあるのでしょう。
初めて会った同士なのでなかなか話が弾まずに
共通の知人を探ろうとした結果、著名な方と知り合いという名前をあげること。
この場合は確かに時折著名な人を軸にして
その著名な方の友人の友人だったりなどということがあって
なんだ繋がってるじゃないですか!ってなって
そこから仲良くなることはあります。
この場合はある程度著名な方の名前を出すことで
すごく薄いつながりでも実は繋がってるということを発見しやすいというのがあります。
著名な方はどうしても目立つので
その友人の友人という結局のところ何のつながりもない
そんなのいくらでもいるでしょ?的なつながりさえも
つながりという風に言ってしまうという人がいるおかげで
人類皆友達ということが起きるという大変ハッピーな構造です。
聞いてる側は、ものすごく冷めて聞いてることが多いです。
まず、一番最初にあげた『自分を大きく見せたい』という点でいうと
結局のところすごいのはアナタではなくて、その著名な方ですよね?っていうのを
大半の人が思いながら聞いているから。
むしろその著名な方を名前に挙げなくてはいけないくらい
あなたは自分に何もないのですか?と思われるので
むしろ逆効果になっていることもしばし。
例えば自分がした仕事としての成果として
著名な方と一緒に何かを作ったとか、
著名な方の薦めている商品を手がけたとか
そういうのであればむしろいいのでしょうが、
そうじゃなくて「友人」というだけでは
結局持って何の意味もないということ。
むしろそれで近寄ってくる人は、あなた自身に魅力を感じているのではなくて
その先にいる著名な方と繋がりたいだけなので
そんな人と仲良くなっても、最終的にはヤリ捨てされるだけだったりします。
カワイイ子と仲良くなるためにイケメンの友人の名前をあげたら
最終的にそのイケメンとカワイイ子が付き合うことになったみたいな。
まあ一晩のメイクラブが出来たことを喜べるならそれでもいいのですが
なんというか虚しいです。むなむなです。
そしてもうひとつの『共通の知人探し』という点においてですが
前述した通り、確かにそれでつながることもあるのですが
むしろ初対面でそういった発言をされると『この人怪しい』という印象を生む弊害もあります。
というのも、結局のところ自分自身のアピールポイントがない
つまりのところ、中身のない人なのに著名な方と知り合いというというのは
世間的には怪しい詐欺師に見えてしまうからです。
これは全くもって逆効果で、もしかしたら仲良くなれた人を
逆に遠ざけてしまうこともあるので要注意だとは思います。
仕事なんかでたまに「実は私、◯◯とは前々から仲良しなんですよ」ってやつ。
パターンはいくつかあるのですが、
仕事などでお互いの意見をぶつけあっている時に
「私、◯◯と知り合いなんですが、彼も同じことを言ってました」なんという発言が飛び出す。
著名な方も同じ意見だということで
自分の意見にバイキルトをかけて意見を通そうというパターン。
今そこにいない、ヘタしたら自分は知らない人の意見を出されて
どうだすごいだろって言われても実際問題困るのですが
これを言われた時は、もうこの人と話しても平行線をたどる一方だと思いやめてしまうこともあります。
もちろん、現実問題仕事の上でこういった話し方をすることもあるでしょうが、
自分の意見を相手に伝えようとしている時に
これを持ち出すのは極力避けたいですよね。
「同じこと誰か他の人も言ってるの?」と言われたならいいのですが、
そうでない時に自分から持ち出すと基本的に聞いてる側は(だからどうした?)と
思っていることが多いのは事実です。
ヘタするとそこまで冷静に話していたにも関わらず
その一言が飛び出したことで逆鱗に触れることもあるでしょう。
実際、そのヒトコトが飛び出してイラッとしたことは僕もあります。
そういった著名な方の名前をすぐ出す人が本当にそのひとの友人なのか?ということ。
著名な方の友人であればきっとその人が名前を出さなくても
きっと友人であることは認識されていたりします。
にも関わらずいちいち名前を出さなくちゃいけないくらいだから
関係は薄かったりするのではないの?と世間は思っていますし
実際に友人どころか1回呑みの席で会ったことがある程度だったりします。
特に一番気をつけたいパターンが「◯◯とは親友なんですよ」というパターン。
『親友』って友人の中でも4番バッターとまでは言わないとしても
基本的にはレギュラーメンバーに入ってないといけないわけで
『親友』って呼べる人間なんて世間的にみたら3人もいたらいいくらい
むしろ3人でも多いくらいじゃないでしょうか?
そんな限られたメンバーに入れるってなかなかないことです。
いや、著名な方の親友なら前述した通り、話しなんかしなくてもみんな知ってるでしょう。
つまりは『親友』とかって言えば言うほど怪しさが増すわけで
しかも大体そういった人は他の著名人とも『親友』だといいます。
つまりこの人は、ちょっとした知り合いでも親友っていうレベルなのか
もしくは、ものすごーく人懐っこくて義理硬くて
ちょっとでも意気投合すればその人のために死ねるくらい情に厚いかのどっちかでしょう。
後者のタイプの人は多分そんな自慢みたいな話し方しないと思います。
聴いてる側からすると不快に思わせることが多いということ。
「誰か有名人知り合いいないの?」と聞かれたならまだしも
聞いてもいないのに勝手に言い出す時は
聴いている側は不快にしか思っていないので
それまで良好に築かれつつあった関係を
一気に壊しかねないと思っています。
僕もきっとそういう話し方をしている時もあるんだろうなと
自戒の意味も込めて、もしそういう人がいたら
ちょっと一度自分の話し方を考えなおしてみたらどうでしょうか?
おせっかいかきからの余計なお世話でした。
早速本題に入るのですが
よく初めてあった人などと話をするときに
「私実は◯◯とお友達なんですよ」
などという発言をよく聞きます。
この言葉を使うには大きくわけて2つの意図があると僕は考えています。
自分を大きく見せたい
割りと多いパターンがこちら。芸能人やスポーツ選手などの著名な方と知り合いということを
単にアピールして自分はちょっとすごいんですよと
そんな風に見せたい人の場合よく使われます。
最近はテレビやラジオに出ている有名人以外にも
ちょっとしたネットの有名な方、ブロガーやニコ生主やTwitter廃人なんか
その種の方と知り合いであることをアピールして
例えば自分と付き合っていると得ですよって思わせたり
自分はちょっと他の人と違うと言いたかったりという感じでしょうか。
ちょっとした呑み会などで初めて会う方からたまに聞こえます。
ちょっとテレビ関係のお仕事をしていたのもあって
プチ芸能人やプチセレブみたいな人と会うこともしばしばあるのですが
そういったプチな人からたまに飛び出す発言で
大半は結局のところ自分のことが世間的に無名であるから
ちょっとした知り合いなんかを引き合いに出して
自分は他の人と違うとアピールしたいだけだったりします。
例えばそのプチな人も「あー!存じております。はじめまして!」と言うと
実はそんな発言しなかったりもするのですが
(誰だろ?)みたいな顔をしながら話をしてたり
話の中心がその人じゃないと突然アピールしてきたりという感じでしょうか。
そのこと自体は別に聞いた側からするとどうでもいいことだったりしますが
中には面白がって「すごいですねー!」っていう人がいたりするものですから
その人もついつい調子に乗って話してしまうところもあるのでしょう。
共通の知人探りをしたい
これもよくあるパターンとはいえます。初めて会った同士なのでなかなか話が弾まずに
共通の知人を探ろうとした結果、著名な方と知り合いという名前をあげること。
この場合は確かに時折著名な人を軸にして
その著名な方の友人の友人だったりなどということがあって
なんだ繋がってるじゃないですか!ってなって
そこから仲良くなることはあります。
この場合はある程度著名な方の名前を出すことで
すごく薄いつながりでも実は繋がってるということを発見しやすいというのがあります。
著名な方はどうしても目立つので
その友人の友人という結局のところ何のつながりもない
そんなのいくらでもいるでしょ?的なつながりさえも
つながりという風に言ってしまうという人がいるおかげで
人類皆友達ということが起きるという大変ハッピーな構造です。
その話を聴く側の考え
本人的には前述したような考え、もしくは無意識で話をしているのですが聞いてる側は、ものすごく冷めて聞いてることが多いです。
まず、一番最初にあげた『自分を大きく見せたい』という点でいうと
結局のところすごいのはアナタではなくて、その著名な方ですよね?っていうのを
大半の人が思いながら聞いているから。
むしろその著名な方を名前に挙げなくてはいけないくらい
あなたは自分に何もないのですか?と思われるので
むしろ逆効果になっていることもしばし。
例えば自分がした仕事としての成果として
著名な方と一緒に何かを作ったとか、
著名な方の薦めている商品を手がけたとか
そういうのであればむしろいいのでしょうが、
そうじゃなくて「友人」というだけでは
結局持って何の意味もないということ。
むしろそれで近寄ってくる人は、あなた自身に魅力を感じているのではなくて
その先にいる著名な方と繋がりたいだけなので
そんな人と仲良くなっても、最終的にはヤリ捨てされるだけだったりします。
カワイイ子と仲良くなるためにイケメンの友人の名前をあげたら
最終的にそのイケメンとカワイイ子が付き合うことになったみたいな。
まあ一晩のメイクラブが出来たことを喜べるならそれでもいいのですが
なんというか虚しいです。むなむなです。
そしてもうひとつの『共通の知人探し』という点においてですが
前述した通り、確かにそれでつながることもあるのですが
むしろ初対面でそういった発言をされると『この人怪しい』という印象を生む弊害もあります。
というのも、結局のところ自分自身のアピールポイントがない
つまりのところ、中身のない人なのに著名な方と知り合いというというのは
世間的には怪しい詐欺師に見えてしまうからです。
これは全くもって逆効果で、もしかしたら仲良くなれた人を
逆に遠ざけてしまうこともあるので要注意だとは思います。
自分の意見にイチを足していく
最初にあげた2つ以外でもたまにあるのがこれで仕事なんかでたまに「実は私、◯◯とは前々から仲良しなんですよ」ってやつ。
パターンはいくつかあるのですが、
仕事などでお互いの意見をぶつけあっている時に
「私、◯◯と知り合いなんですが、彼も同じことを言ってました」なんという発言が飛び出す。
著名な方も同じ意見だということで
自分の意見にバイキルトをかけて意見を通そうというパターン。
今そこにいない、ヘタしたら自分は知らない人の意見を出されて
どうだすごいだろって言われても実際問題困るのですが
これを言われた時は、もうこの人と話しても平行線をたどる一方だと思いやめてしまうこともあります。
もちろん、現実問題仕事の上でこういった話し方をすることもあるでしょうが、
自分の意見を相手に伝えようとしている時に
これを持ち出すのは極力避けたいですよね。
「同じこと誰か他の人も言ってるの?」と言われたならいいのですが、
そうでない時に自分から持ち出すと基本的に聞いてる側は(だからどうした?)と
思っていることが多いのは事実です。
ヘタするとそこまで冷静に話していたにも関わらず
その一言が飛び出したことで逆鱗に触れることもあるでしょう。
実際、そのヒトコトが飛び出してイラッとしたことは僕もあります。
実際に友人ですか?
実際この手の話しをする上で一番問題だと思うのはそういった著名な方の名前をすぐ出す人が本当にそのひとの友人なのか?ということ。
著名な方の友人であればきっとその人が名前を出さなくても
きっと友人であることは認識されていたりします。
にも関わらずいちいち名前を出さなくちゃいけないくらいだから
関係は薄かったりするのではないの?と世間は思っていますし
実際に友人どころか1回呑みの席で会ったことがある程度だったりします。
特に一番気をつけたいパターンが「◯◯とは親友なんですよ」というパターン。
『親友』って友人の中でも4番バッターとまでは言わないとしても
基本的にはレギュラーメンバーに入ってないといけないわけで
『親友』って呼べる人間なんて世間的にみたら3人もいたらいいくらい
むしろ3人でも多いくらいじゃないでしょうか?
そんな限られたメンバーに入れるってなかなかないことです。
いや、著名な方の親友なら前述した通り、話しなんかしなくてもみんな知ってるでしょう。
つまりは『親友』とかって言えば言うほど怪しさが増すわけで
しかも大体そういった人は他の著名人とも『親友』だといいます。
つまりこの人は、ちょっとした知り合いでも親友っていうレベルなのか
もしくは、ものすごーく人懐っこくて義理硬くて
ちょっとでも意気投合すればその人のために死ねるくらい情に厚いかのどっちかでしょう。
後者のタイプの人は多分そんな自慢みたいな話し方しないと思います。
不快に思わせることが多い
結局のところ、『怪しい』『自慢しているだけ』『だから何?』と聴いてる側からすると不快に思わせることが多いということ。
「誰か有名人知り合いいないの?」と聞かれたならまだしも
聞いてもいないのに勝手に言い出す時は
聴いている側は不快にしか思っていないので
それまで良好に築かれつつあった関係を
一気に壊しかねないと思っています。
僕もきっとそういう話し方をしている時もあるんだろうなと
自戒の意味も込めて、もしそういう人がいたら
ちょっと一度自分の話し方を考えなおしてみたらどうでしょうか?
おせっかいかきからの余計なお世話でした。
2013/01/28
JKリフレ
まず驚きなのは朝日新聞の記事の見出しに『JK』という隠語が載ったこと。
「JKリフレ」捜索 女子高生にマッサージさせた疑い
もはや今では当たり前か。
とはいえ、そもそもこの言葉はどちらかというと
あまりよい世界で使われていたわけでないし、
JKという言葉自体が性的な意味合いを込めて使われていたので、
そういう意味で現在がどれだけ未成年者を性の対象にした時代なのかが伺える。
現在仕事の関係で、秋葉原に頻繁に行くのだけれど、
とある裏道では夜な夜な女子高生の格好した女の子が
この寒い季節の中でも、ミニスカで道行く男性に声をかけている。
内容は今回摘発を受けた『JKリフレ』だ。
繁華街で呑んだことがある男性なら1度は経験があると思うのですが、
若干カタコトの女性が「マッサージイカガデスカ?」と声をかけてくる。
中には若干しつこいくらいつきまとい、腕を組んで来て女性の柔らかさをおしつけてきたりする。
酔っていると、ついついムラムラと男性の本能が働いて
ついついそのマッサージに行ってしまう人も多数いる。
世界観は完全に一致する。
実年齢がいくつかは知らないけれど、
その街灯も微妙な裏道で、可愛らしい制服に身をまとった女性が
「リフレどうですか?」みたいな感じで声をかけてくる。
そのまま素通りする人がおおいが、中には立ち止まりその子達と会話を楽しむものもいる。
そこから、その子達は必死に「いこ!いこーよ」と勧誘をする。
完全に通りに立つ売春婦の景色だ。
前々から違和感を感じていた。
正直言うと、僕だって若い女の子は大好きだし、
他のかなりの方と一緒で、制服を見ていいなと感じるつまらない人間だ。
けれど、とはいえ、もし彼女達がモノホンのJKなら
あれをそのままにしているのはどれだけ異様な光景なんだと思っていた。
ましてや、世界に誇るAKIBAでだ。
僕も何度も声をかけられたし、
実際にとっても可愛い子が多く、
何度もついつい鼻の下を伸ばしながら、
ちょっと首をかしげながら上目つかいで「いいでしょ?」って言われると
ついつい言ってしまいそうになったことも多い。
別に性的なサービスをするわけではない(はず)だから
何の問題もないのかもしれないが、
ああやって、未成年の女の子が学生服で男たちに色目を使うことが
どれだけ異様で、気持ち悪い世界なのかというのをずっと思っていた。
「いいの?まじで??」という感想だった。
今回、摘発されたのは、キャッチをしていたことに関してではないけれど、
どちらにしても、自分が感じていた異様さは誰しもが感じていたということだろう。
それにしても、個人的には終わってるとしか言えない形相なのだ。
僕は決して聖人君子じゃないし、
むしろどちらかというと世間様よりも性欲が強いが、
だからこそ、こんなもの普通にそこいらでやらしてんじゃねーよ!って思うわけで。
添い寝の時間売とかも普通に頭がとろけているとしか思っていなかった。
性をお金に変えることを批判するわけじゃないけれど、
JKを街中でどうどう売りさばく様子はやはり異常すぎ。
今後、少しは冷静な景色になってくれることを待ちわびるのみです。
「JKリフレ」捜索 女子高生にマッサージさせた疑い
もはや今では当たり前か。
とはいえ、そもそもこの言葉はどちらかというと
あまりよい世界で使われていたわけでないし、
JKという言葉自体が性的な意味合いを込めて使われていたので、
そういう意味で現在がどれだけ未成年者を性の対象にした時代なのかが伺える。
現在仕事の関係で、秋葉原に頻繁に行くのだけれど、
とある裏道では夜な夜な女子高生の格好した女の子が
この寒い季節の中でも、ミニスカで道行く男性に声をかけている。
内容は今回摘発を受けた『JKリフレ』だ。
繁華街で呑んだことがある男性なら1度は経験があると思うのですが、
若干カタコトの女性が「マッサージイカガデスカ?」と声をかけてくる。
中には若干しつこいくらいつきまとい、腕を組んで来て女性の柔らかさをおしつけてきたりする。
酔っていると、ついついムラムラと男性の本能が働いて
ついついそのマッサージに行ってしまう人も多数いる。
世界観は完全に一致する。
実年齢がいくつかは知らないけれど、
その街灯も微妙な裏道で、可愛らしい制服に身をまとった女性が
「リフレどうですか?」みたいな感じで声をかけてくる。
そのまま素通りする人がおおいが、中には立ち止まりその子達と会話を楽しむものもいる。
そこから、その子達は必死に「いこ!いこーよ」と勧誘をする。
完全に通りに立つ売春婦の景色だ。
前々から違和感を感じていた。
正直言うと、僕だって若い女の子は大好きだし、
他のかなりの方と一緒で、制服を見ていいなと感じるつまらない人間だ。
けれど、とはいえ、もし彼女達がモノホンのJKなら
あれをそのままにしているのはどれだけ異様な光景なんだと思っていた。
ましてや、世界に誇るAKIBAでだ。
僕も何度も声をかけられたし、
実際にとっても可愛い子が多く、
何度もついつい鼻の下を伸ばしながら、
ちょっと首をかしげながら上目つかいで「いいでしょ?」って言われると
ついつい言ってしまいそうになったことも多い。
別に性的なサービスをするわけではない(はず)だから
何の問題もないのかもしれないが、
ああやって、未成年の女の子が学生服で男たちに色目を使うことが
どれだけ異様で、気持ち悪い世界なのかというのをずっと思っていた。
「いいの?まじで??」という感想だった。
今回、摘発されたのは、キャッチをしていたことに関してではないけれど、
どちらにしても、自分が感じていた異様さは誰しもが感じていたということだろう。
それにしても、個人的には終わってるとしか言えない形相なのだ。
僕は決して聖人君子じゃないし、
むしろどちらかというと世間様よりも性欲が強いが、
だからこそ、こんなもの普通にそこいらでやらしてんじゃねーよ!って思うわけで。
添い寝の時間売とかも普通に頭がとろけているとしか思っていなかった。
性をお金に変えることを批判するわけじゃないけれど、
JKを街中でどうどう売りさばく様子はやはり異常すぎ。
今後、少しは冷静な景色になってくれることを待ちわびるのみです。
2012/10/21
冷静と広告の間
アフィリエイトって言葉、いつの間にか世の中に浸透して、
どちらかというと悪いイメージの方が強いですよね。
僕もどちらかというとあんまりいいイメージの語感ではない。
そもそもアフィリエイターとかって呼ばれる人達の多くが
なんというか、本当に気分を害することばかりしているからだ。
記事は全て広告だったりするくらいなら問題ないが、
リンクタイトルに興味を示す内容、
たとえば「◯◯の秘蔵画像はこちら」なんていうリンクがあって、
そこをクリックするとそこは単にアフィリエイトリンクだった…なんてことや、
無料系のサービスだとバンバンポップアップが上がってきたりと
アフィリエイトというものの印象の悪さは一時期すごく悪くなってしまった。
僕もブログを複数やってて、アフィリエイトリンクは貼ってるし、
正直、せっかくある仕組みだから使わなき手はないし、
少しでもお小遣い入るなら別にいいかなって思って気軽に貼ったりはしている。
アフィリエイトの印象が悪いというのと、
無駄に広告が多いのは、正直すごくイメージが悪くなるから、
ブロガーなりっていう人達は、いわゆるバナー広告の位置だったり、
アフィリエイトリンクの数だったりなんていうのもすごく気にしていると思う。
前述した通り、僕も正直アフィリエイターなんて言われている連中があんまり好きじゃないし、
情報商材だったり、詐欺商材扱っている人も嫌いなので、
そういった人たちの手法なり、広告は本当に吐き気がするのだが、
とはいえ、アフィリエイトという仕組み自体を真っ向から嫌い過ぎる風潮は少し残念だと思う。
どちらかというと悪いイメージの方が強いですよね。
僕もどちらかというとあんまりいいイメージの語感ではない。
そもそもアフィリエイターとかって呼ばれる人達の多くが
なんというか、本当に気分を害することばかりしているからだ。
記事は全て広告だったりするくらいなら問題ないが、
リンクタイトルに興味を示す内容、
たとえば「◯◯の秘蔵画像はこちら」なんていうリンクがあって、
そこをクリックするとそこは単にアフィリエイトリンクだった…なんてことや、
無料系のサービスだとバンバンポップアップが上がってきたりと
アフィリエイトというものの印象の悪さは一時期すごく悪くなってしまった。
僕もブログを複数やってて、アフィリエイトリンクは貼ってるし、
正直、せっかくある仕組みだから使わなき手はないし、
少しでもお小遣い入るなら別にいいかなって思って気軽に貼ったりはしている。
アフィリエイトの印象が悪いというのと、
無駄に広告が多いのは、正直すごくイメージが悪くなるから、
ブロガーなりっていう人達は、いわゆるバナー広告の位置だったり、
アフィリエイトリンクの数だったりなんていうのもすごく気にしていると思う。
前述した通り、僕も正直アフィリエイターなんて言われている連中があんまり好きじゃないし、
情報商材だったり、詐欺商材扱っている人も嫌いなので、
そういった人たちの手法なり、広告は本当に吐き気がするのだが、
とはいえ、アフィリエイトという仕組み自体を真っ向から嫌い過ぎる風潮は少し残念だと思う。
この記事に書いてあることは、一部理解出来るが、
正直単に嫌アフィなのかな?なんて思ってしまったりする。
このリンクを付けてつぶやいている人達も賛否あるが、
ワーワー言ってる人達の中に嫌アフィな人達が結構見受けられる印象だ。
確かに、他人の発言を無断でパクって自分が人気者になるということは
正直褒められたものではない。
ただ、この場合ちゃんと引用であることは触れてはいる。
@をつけない、RTしていないということで、結局はパクリじゃんかという意見だが、
中には勝手に@をつけて呟かれて、大量に通知が飛んでくることを嫌う人だっているのは事実だ。
世間のTwitter使いがみんな公式RTばかりしてくれるわけじゃない。
そういった意味では、ある意味配慮しているとも言える。
もちろん、僕的には公式RTしてもらった方が嬉しいし、
@を付けてくれて、反応が合ったほうがやっぱり嬉しいとも思う。
けど、それを嫌う人が多数いるのは事実だ。
ただ、@を付けるかどうかはまだまだ議論の余地があると思うのだが、
最終的にフォローが増えて、Twitter広告サービスで稼ぐことに何が問題があるのかな?とは思う。
実際にやってみると分かると思うんですが、
いくらパクリツイートだろうが、ここまでフォローが増えるのは正直大変だ。
それなりに名のある人がひっそりやっているんじゃないかな?なんて思うのだが、
それにしたって、広告とのバランスは大事で、
広告比率が増えると、一気に嫌われるし、
ちゃんと定期的に新作のつぶやきをしないといけないわけで、
「そんなの検索して、ぽいってつぶやけばいいじゃん」っていう人は実際やってみたらいいと思う。
結構たいへんだ。
無料サービスを駆使して、お金を稼ぐことは
想像以上に大変で、この人はアイデアを駆使したという意味では僕は正直あんまり嫌味に思わない。
元のツブヤキをした人のネタをパクったというのは確かに多少頷けるが、
自身の言葉だとは言ってないし、迷惑という意味では前述の通り@をつけた方が迷惑になる可能性だってある。
結局のところ広告で金儲けすることが嫌なだけなんじゃないか?
そういう風にしか思えない。
もう少し冷静に記事をおこしてもらって、
単に記事をパクることに関しての見解などを述べて欲しかったかななんて思った。
2012/08/19
切り捨て御免
泣く子も黙る居酒屋チェーンワタミの会長である渡邉美樹さん。
賛否両論色々あるだろうけど、僕はこの人のことが好きだったし、
実際すごく尊敬してたし、伝え聞いていたこの方の半生がすごく刺激になっていた。
なので、色々と言われる中でもそれでも法人としてのワタミと
渡邉美樹さん自身とは切り離していつも考えていた。
そんな中すごく気になるニュースを目にした。
いじめが発覚した 減給?
ふざけるな!!!
だから、何も変わらないんじゃないか。
大津の事件は一体どうしてあんな自体になり、
そして発覚後もどうして、ああやっていじめじゃないと言い続けているのか?
いじめが発覚したら、いじめと認めたら、欠陥教師、欠陥学校と烙印を押されるからだろう。
いじめなんてものは、人がいっぱいいるコミュニティじゃ日常茶飯事に発生している。
起こしたくなくても、起きてしまう。
教師の教育の仕方が悪いからいじめが起きるの?
そうじゃないだろ。
問題はいじめが起きた時にどう対処するかだろう。
僕は、こんなクズの僕がいっても何も響かないかもしれないけど、
いじめが発覚したら減給なんかやめてしまえ!
いじめを見つけたら、それこそ褒めてやれよ。
もちろん、いじめを見つけたら報奨金なんて仕組みにしたら
また下らないアホなやつが、いじめをしろと指導したりなんて起きそうだからやめておくが、
いじめという問題にまっすぐに向き合うには、
いじめというものは当たり前に起きるもので、
それが発覚しても、発見しても、教師をとがめちゃ駄目だし、
ましてや、それを隠そうなんてするような制度を作っちゃだめなんだよ。
僕は渡邉美樹という人を尊敬していたが、
今回のことで、尊敬している人リストから外そうと思う。
最近の政治や、偉い人達が一体何を言っているのか本当に分からない。
学校という仕組みに評価なんてものがあるから駄目なんだ。
寺小屋の時代のようじゃ駄目なの?
私立だからいいの?
というか、色々な教育現場で、相談役なりなんなりをされているアナタが
そんなことを言ってくれるなよ!
子どもはモノですか?
教師にとってはA4プリンターから排出されるテスト用紙ですか?
大人にとってみれば、子どもはただの評価の道具ですか?
もうだったら教育なんていらないよ。
識字率だけ保てればいい。本当に寺小屋でいいよ。
一体なんなの?
頼むから、いじめられている子達が、
何も言えずただ我慢をして、そして死においやるようなそんな社会を
これ以上形成しないでくれ。
弱いものは切り捨てればいいような。
刀を持った人達だけが道の真中を歩けるような時代は
もうとうの昔に終わったはずだ。
頼むから。本当に頼むから。
言葉の力を持った人、権力を持った人、
本当に頼むから、そんな社会にこれ以上しないでくれ。
賛否両論色々あるだろうけど、僕はこの人のことが好きだったし、
実際すごく尊敬してたし、伝え聞いていたこの方の半生がすごく刺激になっていた。
なので、色々と言われる中でもそれでも法人としてのワタミと
渡邉美樹さん自身とは切り離していつも考えていた。
そんな中すごく気になるニュースを目にした。
ワタミ会長 いじめ発覚なら担任教師の給料下げるべきと提案
正直「いじめ」という話題には僕はあまり触れないようにしてきた。
というのも、それはすごく難しい問題だし、
SNSなどでは時折とりあげたりするけど、
実際問題僕が何か立ち上がって行動をしているわけでもない。
そして、いじめは駄目だといいながらも、
僕も実際幼き頃はいじめをしていた加害者だったからだ。
最近のニュースで見かけるような、
人の命を命とも思わないようなそんないじめじゃなかったかもしれないけれど、
結局は一緒だ。僕もクズのひとりだ。
他のクラスのメンバーと一緒に、不必要に特定の人間をからかい面白がっていた。
今考えれみてれば本当にクズだし、
むしろその時も実際自分がクズなのは分かっていたはずだ。
最低だと思う。
地元にいるときに、そんなイジメをしていた本人が大人になってから見かけることがあった。
すごく元気にされていて、そのおかげで僕は心なしか勝手に救われた。
だからなおさらクズなんだと思う。
殴って、蹴って、暴力を振るえば
そしたら僕は捕まって少年院に行き、罪を償うこともあったかもしれない。
しかし、僕がつけた傷は心の傷だったからだ。
今、ご本人がどう思っているかは分からないし、
あった時に「お前しねよ!」って言われても何も言い返せない。
だから、僕はいじめに関して時折ふれることはあるけれど、
何か大きな行動に移せないでいる。
罪滅ぼしと思って、いじめは駄目だと言いまわっているわけでもない。
いじめの加害者だったくせにって言われればそうだと思うから
本当に何も言い返せない。
あの頃は今ほど大きくイジメで自殺をするなんてことが
ニュースを駆け巡る時代じゃなかった気がする。
でも、もし今みたいな状態だったら、もしかしたら僕は死に追いやっていたかもしれない。
大人を責めるつもりは全くない。
学校の先生達は気づいていたか、気づいていなかったかも分からない。
でも、大人と呼ばれる年齢になって、
あの時担任だった先生達と同じ歳になって思うこと、
それは、先生はきっと気づいていたと思うこと。
学校の先生が、いじめに対してどういう教育を施されているかは実際のところよく知らない。
けれど、おそらくはマニュアルではどうしようもできなく、
そして教師という存在が実際は神様でもなんでもなくて、
むしろ結局は何も出来ない単なる小さい一人の人間だということに気づいてしまうんだと思う。
何も出来ないんだろう。
僕も今教師だとして、一体何が出来るのかは分からない。
「いじめ」なんて問題はずーっと起き続けている問題。
なのに、どうしていいか対処方がわかんないんだ。
だけど、そのままでいいわけなんかない。
話を少し戻そう。
冒頭でリンクを貼った記事。
渡邉美樹さんは一体何を言ってるんだろうか?いじめが発覚した 減給?
ふざけるな!!!
だから、何も変わらないんじゃないか。
大津の事件は一体どうしてあんな自体になり、
そして発覚後もどうして、ああやっていじめじゃないと言い続けているのか?
いじめが発覚したら、いじめと認めたら、欠陥教師、欠陥学校と烙印を押されるからだろう。
いじめなんてものは、人がいっぱいいるコミュニティじゃ日常茶飯事に発生している。
起こしたくなくても、起きてしまう。
教師の教育の仕方が悪いからいじめが起きるの?
そうじゃないだろ。
問題はいじめが起きた時にどう対処するかだろう。
僕は、こんなクズの僕がいっても何も響かないかもしれないけど、
いじめが発覚したら減給なんかやめてしまえ!
いじめを見つけたら、それこそ褒めてやれよ。
もちろん、いじめを見つけたら報奨金なんて仕組みにしたら
また下らないアホなやつが、いじめをしろと指導したりなんて起きそうだからやめておくが、
いじめという問題にまっすぐに向き合うには、
いじめというものは当たり前に起きるもので、
それが発覚しても、発見しても、教師をとがめちゃ駄目だし、
ましてや、それを隠そうなんてするような制度を作っちゃだめなんだよ。
僕は渡邉美樹という人を尊敬していたが、
今回のことで、尊敬している人リストから外そうと思う。
最近の政治や、偉い人達が一体何を言っているのか本当に分からない。
学校という仕組みに評価なんてものがあるから駄目なんだ。
寺小屋の時代のようじゃ駄目なの?
私立だからいいの?
というか、色々な教育現場で、相談役なりなんなりをされているアナタが
そんなことを言ってくれるなよ!
子どもはモノですか?
教師にとってはA4プリンターから排出されるテスト用紙ですか?
大人にとってみれば、子どもはただの評価の道具ですか?
もうだったら教育なんていらないよ。
識字率だけ保てればいい。本当に寺小屋でいいよ。
一体なんなの?
頼むから、いじめられている子達が、
何も言えずただ我慢をして、そして死においやるようなそんな社会を
これ以上形成しないでくれ。
弱いものは切り捨てればいいような。
刀を持った人達だけが道の真中を歩けるような時代は
もうとうの昔に終わったはずだ。
頼むから。本当に頼むから。
言葉の力を持った人、権力を持った人、
本当に頼むから、そんな社会にこれ以上しないでくれ。
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