ただ思うままに淡々と感じたことなどを綴るブログ「時々僕」

2015/05/05

これからの道、そしてどう生きていくか

とりとめのない、僕のだらだらとした日記を書くにはここが向いている。

おそらく一番、誰に何を言われても構わない場所なんだろう。


モノカキで生きていきたいと宣言してどれくらい経ったのだろう。おそらく4,5年ほどだと思う。

いつでもそうだけど、本当になりたいと思うものには、様々な周りの支えがあってこそとはいえ、なれるものだ。

総理大臣のように日本で1人しかなれないものや、30を越えて医者になりたいというような、そもそも実現が難しいものを除けば、ほとんどのものが自分の意思と、それを支えてくれる周りを作ることで可能なんだと思う。


さて、そんな話は置いておくとして、今僕はようやくモノカキとして一歩進み始めたわけだが、今果たして自分がどんなモノカキになるべきなのか、日々思い悩んでいる。


実際にところ、なるようにしかならないし、なんだかんだやっていれば形成されていくものだ。


しかし、プロの世界というのは厳しいもので、モノカキとして一歩歩もうとしはじめたばかりのころに、よく諸先輩方や編集者の人から「何が得意なんですか?」と言った言葉を向けられた。


例えば「私は料理人です」という人がいた場合、僕も同じく「何系の料理人なんですか?」と聴くと思う。

おそらくその方が「料理全般です!」と答えれば、この人はまだプロじゃないなと思ってしまうだろう。

今の僕は全く同じことを言っているに違いない。


しかし、そんな中でも自分なりには徐々に進みたいと思う道や、人生をかけて書きたいと思うものがボンヤリとだが浮かんできている。


しかし、人間とは欲張りなものだ。ことさら僕に関しては欲張りが裸で歩いているような生き方をしてきた通り、1つに絞りたいとは中々思えない。


実際問題、プロでやっていくなら、色々やりたいと思ったところでまずは1つ何か得意分野を作ることで、その後の欲張りにも対応できる。

しかし、いわゆる器用貧乏なのだろう。これだ!というものがむしろなく、それなりにどれもそこそこ出来るのだと自分で勘違いしているところがある。


ここ最近悩んでいる中で、さらに自分を大きく悩ませている原因が、自分がやりたいと思う道が、ノンフィクションとフィクションの両極端であるということだ。

最近自分が行き着く先がもしかしたら、今となっては死語となりつつあるルポライターなのではないかと思うことがある。


決して順風満帆ではなく生きてきた中で、上場企業で働いていたこともあれば、裏社会に隣接するところにいたこともある。

その両者の世界にいたからこそ、見えてきた色々なものが僕の中には蓄積されている。

そうした経験から、つねに僕の中では色々な課題が浮かび、それを文章として社会へ届けたいと考えていることは多くある。


しかし、そうしたルポライターの道とは別に、幼少期から書いていた小説や詩などの世界にも大きなあこがれと、そして衝動がある。


現実を切り取ることで、伝えるものと、
非現実を描くことで、引き起こされるもの、
その両方が僕にとっては、背中合わせなようで同じなのだ。


しかし、ノンフィクションを書く人間が、フィクションを描くようでは、そのノンフィクションの説得力が欠けるであろう。

また、逆も然りだ。


こうした様々な要因が何度と無くさざなみのように僕の心のなかでおしてはひいてを繰り返し、今何をすべきなのかがずっと分からないまま、日々文章を紡いでいる。


しかし、きっとこれにもいつか答がでるのだとは思っている。

漠然としていては、決して答が出ないこともよく知っている。

答を知っているからこそ、そのプロセスをはじめて見出すことが出来るのは、今まで生きてきて経験済みだからだ。


嘘でも自信を持って「こうなれる」と言えることの強みは、行き着く先が見えているから、遠回りでも手法がたとえ分からなくても行き着くことが出来る可能性が答を知らない人間よりも明らかに高いということだ。


恋愛におきかえるとすごくよくわかるのだが、ただ漠然と女を抱きたいと思っていても恋愛はできないかもしれないが抱くことは出来る。

好きな女と付き合いたいと思えば、抱くこともキスをすることももしかしたら出来ないかもしれないが、付き合うことは出来る可能性はある。


しかし、最近いわゆる非リアと呼ばれる人たちに問題なのは、その両方の答を知らないことだ。

リア充とは、常に「抱きたい」「キスしたい」「一緒にいたい」といった答を持っていて、なんなら「彼女が欲しい」といった漠然としたものでも最低限は持っている。

しかし、非リアと呼ばれる属性は「リア充爆発しろ」「路チューしているのはムカつく」「彼女なんてできません」といった、他方を攻撃することに重きを置いていて、自分がどうなりたいかという「リアル」の答を知らないことが、非リアの原因なのではないだろうか。


話が大きく脱線したが、今の僕のボンヤリとした願望は、とどのつまり答のない未来へ何かしらの期待を抱く、どうしようもない現状だ。

毎日が焦燥感にかられているのは、こうした行き着く先の答が見つからない自分が原因だと思う。


もしかしたら、明日への希望が見いだせない、将来に夢を描けない若者たちはすべてこうした答がないまま、モラトリアムを終え、そして薄給を握りしめ日々過ごしているからなのかもしれないと思い始めた。


誰かに希望や夢を与えることが、もし僕に出来るとするなら、まずは自分自身の答を先に見つけて、そしてそのための数式を描くことからはじめるべきだろう。


もしかしたらまだ僕はモノカキとして一歩も踏み出せていないのかもしれない。まずは靴紐を結びたい。

2015/04/14

有名な方たちは人間が出来ていて素晴らしい限りだ。

こちらのブログに書くのは1年以上ぶりでしょうか。

過去に書いた記事も少ないのですが、なんだか昔書いたものをたまに眺めると面白いものですね。

この頃と何にも変わらずにへたっぴな文章を垂れ流し続けていて、方方から怒られる日々です。


さて、どこに書いていいか分からずに、そういえばここは時々僕の思うことを書く場所として立ち上げていたんだと思いだしたので、ふと、ここに書いてみる。


東京に来て6年がすぎ、徐々にこんな僕でも友人・知人が少しずつ増えてきた。

社会のゴミクズとして、自分が少しでも何かの役に立てるならと、飛び出してきた故郷。

一度死のうと思った4年前。

あの頃、もうどうせ死ぬのなら、まだ何かやれることがあるんじゃないかと、人間簡単に死なないと言ってたHIDEの言葉をなんとなく胸に刻んで今がある。


気づけば、相変わらずのクズっぷりだけど、それでも笑って許してくれる周りの人に支えられて、なんとか生きている。

誰かのためになるのならと生きてきた結果、結局誰かに支えられているという何ともお恥ずかしい顛末を繰り返すばかりなのですが、こんな僕でもたまに勉強熱心な時がある。


昔から、目立つのは嫌いなくせに、人前に出ることが多かった僕は、日常から一瞬解き放たれる『イベント』が大好きだ。

大きな音楽フェスや、講演・セミナー、そして誕生日会と、カタチはそれぞれだが、何かしらのイベントを催すのが好きだ。


自分が思い描くイベントストーリーが果たして、どれだけ人を楽しませることが出来るのかというのは、結局来るお客さんに委ねられるので、運営側が出来ることは70%ぐらいが限界で、実際は50%にも満たないくらいで、残りは結局来た人がどう楽しんでくれるか次第でイベントの成功は大きく左右すると思っている。


だからこそ、色んなイベントに行ける限りは積極的に行こうと思い、時折気づけば会場に自分の足が向いていることは、むしろ必然とも言えることだろう。


可能な限り俯瞰で体感するために、どんなイベントに行っても、知り合いに遭わない方が僕的には助かることが多い。

例えば、ちょっとしたトークイベントなんかにいって、知り合いがいるとついつい話してしまったりして、思わずイベント的にロスをすることは決して珍しくはない。

ただ、それもある種イベントに参加する人側の体験としては、決して間違っているものではないので、そこはひとつのモデルケースとしてよいと思っている。


ところが、イベント主催者やそこに参加者として来ているが、とても有名人な方がたまたま僕のことを知っている時は、その気配が変わる。


有名な方たちというものは、とにかく人間としてちゃんとしている人が多く、そのため僕のような無名な人間の顔ですら覚えてくれていたりする。

向こうが気づけば、必ず声をかけてくれるし、その場で話し込むこともある。

個人的には、とても嬉しいし、やっぱりこういう人が成功するんだよなと、自分の不甲斐なさを毎度喉の奥で味わいながら、キラキラとした有名人の人の笑顔に吸い込まれていく。


しかし、そうしていると、いつしか、そうした有名人の周りには人が集まってくる。

これが、とても困ったことで、僕みたいな無名のどうしようもない社会のクズみたいな人間の周りにも集まってくるのだ。

もちろん、お分かりの通り、僕の周りというよりは、その有名な方の周りに集まっているだけにすぎないが、そうしていると、徐々に僕の方にもそうした方たちがキラキラした眼差しで話しかけてくる。


これが、困った。


そのような鮮度の高い、まさにいけすから取り出したばかりのような魚の眼をされても、僕のような菜種油をしぼりとった後のカスのような人間からは、おそらく期待しているような何か面白い話も出てこないし、おそらく何にも役に立てるようなことはないので、申し訳ない気持ちで満載になる。


いや、もちろん、誰かの役に立ちたいと思っているとはいえ、そういう有名人の方の横にして向けられるキラキラには決して応えられそうもない。

さっき、その人が咥えたストローぐらいだったら用意できるかもしれないが、おそらくそんなクズ発言をしたら、なおさら失望し、その人はきっと侮蔑の眼差しで僕にこういうだろ「…」いや、言うんじゃないのか。無言で去るんだ。


ほら、クズとして出会っていれば、きっとかわいそうに思ってチョコボールのひとつでもくれるかもしれないし、なんだったら銀のエンジェルぐらい恵んでもらえるかもしれない。

けれど、この場合はむしろ「たりない残り1つの銀のエンジェルください」と言われているようなものだし、なんだったら最初から金のエンジェルを求めてきていることだってある。


おわかりだろうか。



わかるわけがない。

言ってることが無茶苦茶だからだ。


結局何が言いたいかというと、有名な方たちというのは、人間が出てきていて素晴らしいということだけだ。僕とは大違いだ。

2013/12/05

ブログの多様化とかひとつにまとめろとかもうどうでもいい

最近いわゆるブロガー様の一部が書いている話題。


特定の内容に絞ったブログをいくつか作るよりも


ブログをひとつにまとめた方がいいみたいなやつ。


検索的にはうんぬんとか


バラバラでやる意味無いとか


なんだろ、もうどうでもいい。


僕自体は複数のブログをやっていて


言っていることは確かによくわかる。



更新頻度が落ちるとか


特定のカテゴリに絞っても検索優位が無いとか


そりゃあ皆様プロのお方で


それで生計を立ててるわけだから


そういうのに敏感なのもよく分かる。


そうした方がよい、いや分かりやすくいえば儲かるなら


それの方がいいでしょう。


それはそれぞれ個人の好きなようにやればいい。


けど、いちいち複数やっているのがアホみたいな


そんな言い方やめとくれ。


別に雑音なんて気にしなくていいけど


こっちは別にアクセス稼ごうとか


アドセンス的にどうこうとか


そんなこと考えてないんですわ。


ブログやっているやつが全部そんなことばかり


考えているとか全くもって思って欲しくない。



たまに、「ブログ一生懸命書いているけど儲かってるの?wwwwwww」


みたいなこと言われる時がある。


いや、別にどうでもいいじゃんって。


やっているからには


そりゃアクセスが少しでも多いほうが嬉しいし


アフィリエイトの収入があれば


そりゃそりゃ嬉しい。


アクセスが増えてきたら、その分収入もあるわけで


そうしたらサーバーを強化しようとか


今度はこんな商品のレビュー書こうとか


色々考えられるからそりゃ楽しい。


けど、そもそもアクセス増やすとか


収入増やすために始めたわけじゃない。


勘違いしないで欲しい。


書いた以上は出来るだけ多くの人に見てもらいたいし


そりゃ褒められたら嬉しいしいだけど


なんだろ、なんかブログってそんなビジネスライクなものばかりじゃないでしょ。


ラーメン好きがラーメン屋やることや


カレー好きがカレー屋やることの全てが


儲けだけを追求しているわけじゃないのと同じ。


そりゃ、仕事としてやっていりゃ


最低限生活するだけのお金は必要だし


そのためには経営のことをちゃんと考えないといけないけど


だからって、単に儲かることばかり考えているわけじゃないでしょ。


いや、この例えはなんか色々言われそうだから


書いたけどやめとこう。



僕がやっていることは


例えるなら、ギャグ漫画も恋愛小説も歴史活劇も


それぞれ好きで描きたいから


同人誌として定期的に描いて出版しているようなもの。


それぞれテイストも中身も違うから


当然毎回別の本として出しているわけだけど


そんなに色々やるなら、まとめちゃないよYOUって言われて


あぁさいですかと、週間漫画のようなものを出すかって話。


しかも、まとめたはいいけど、


例えば恋愛小説のファンの人が今週号見たら


全く載ってなくて、でも買い続けてないと


いつ載るか分かんないよって感じ。



ああ、だから儲かるのか。


とりあえず、みんなが総合情報誌的なものを


出せばいいってもんじゃない。


別に不定期だろうがなんだろうが


それぞれ別の表紙で展開してもいいじゃないかという話。



あれ、書く前に頭に浮かんでいたことの1/3も伝わらない。


純情な感情は空回りだわ。


また気が向いたら同じこと書きます。まいはーと。

2013/10/27

携帯のオプション強制加入に文句言ってる人はバリューセットも買わなきゃいい。

携帯のオプション強制加入に文句言ってる人はバリューセットも買わなきゃいい。
ものすごく長いタイトルになってしまいました。

僕は以前、携帯の販売会社で働いていました。

まだSoftbankはJ-Phoneになる前のデジタルツーカーとかそんな時代。

KDDIはIDOとかがくっつく前。

docomoもエリアごとに分かれてて

各エリアじゃなきゃ色々な変更が出来なかった頃。

まあ僕の話はどうでもいいんですけど、

携帯のオプション強制加入なんて

そんな随分前の頃から普通に当たり前だった。

確かに当時は、オプションに入るから1円になるとか

そういうメリットがあったのもあって

買う側も正直そこにあまり文句は言わなかった。

いや、実際はかなり色々言われましたけど。

んで、今回はオプション入らなくても

入っても販売価格は同じはずなのになんで?ってことですよね。

多分。

僕が思うままに書き殴るので乱文お許しください。

まずキャリア側、つまりdocomoとかauとかSoftbank側に関しては

これは別に強制なんかしてないのが事実だと

僕は思っています。

いや、確かにあの頃からずーっと

消費者側には見えない強制はありました。

このオプションをこれだけ月間とったら

来月はこれだけ1台あたりの契約でお支払いしますとかいう仕組みがあって

いわゆる「にぎり」とかってやつ。

分かりやすくいうと、Aというオプションがあって

今月Aというオプションを、その店舗で100件とると200件とるでは

来月以降の携帯会社から払われる金額が違うってやつ。

100件だと、1台あたり1000円プラス

200件だと、1台あたり1500円プラス

とかになったりするんです。

単純に20万ほど入ってくる額が変わる。

これにプラスして、単純にオプションをとる度に1000円とか入るから

更に合計すると利益は全然変わるわけなんです。

原材料がかからない以上、入ってくる金額はそのまま儲けになるわけで

そんなこともあって、昔はキャッシュバックとかもあったんです。

プラスになる額を見越して、にぎり減らすくらいならキャッシュバックしちゃえみたいな。

そんなこんなで、目に見えない圧力?がまず1次代理店にあり、

そこから更にその下の代理店が同じく圧力をかけられて

オプション強制祭りが発生していたわけです。

今の仕組みが同じなのか、変わったなのかは分かりませんが

基本的なところは変わってないはず。

しかも、これヘタすると店のランク付けみたいのにも影響するので

新機種、特にiPhoneとかみたいなすぐ売り切れちゃうやつなんかは

どれくらいの台数が各店舗に振り分けられるかの基準にもなります。

なので、当然頑張らないとあっという間に地域ワースト店になります。

今だったらもしかしたらiPhoneの次回入荷とかにも影響しているかもしれませんね。

あくまでも推測ですけど、

まあそれぞれのキャリアショップでも

安売りのピカっとする全キャリアを扱っているお店でも

大手家電量販店の携帯販売コーナーでも

働いてきたので、当時の仕組みは把握しているだけに

今も大して変わってないんじゃないかね?というのが感想。

そんなの消費者側には関係ないじゃないか!

という声が聞こえてきそうですけど、

嫌なら絶対加入しませんって言えばいいと思うし、

加入しないなら販売出来ませんっていわれたら

強制じゃない店舗を探し出せばいいのかなと思います。

いや、そんなのが無いから問題視してんじゃんって話ですけど

そりゃあ商売ですからね。

キャリアショップだって結局は直営なんてほぼ無いですから

代理店にそれを言うのは酷です。

1円でも儲けたいのは当たり前の話ですから。

ポテトとドリンクとバーガー買って500円なら

ドリンクとポテトを抜いた金額でバーガー売れよって

そんな風に言われているように感じるぐらい

売っている側からしたら「仕方ないじゃん」ってことなんです。

オプション付けなきゃその価格で売らないなんて詐欺じゃんみたいに言われても

こっちとら商売なんだよって。

スーパーで売っている刺し身の大根のほっせーやつとか

意味不明なぷらっちっくの菊のやつとかいらないから

もっと安く売れやヴぉケが!!って言われているくらい

「仕方ないじゃん」って思っちゃうんです。

だからって、じゃあ結局悪しきはキャリアなんでしょ?っていうけど

世の中商売の仕組みなんてそんなんばっかじゃんって話です。

米の流通量を制限したりとかだってそうだし、

売る側の都合はこの際無視ですか?って話なんです。

今や携帯電話は無くてはならないものになってしまって

もはや公社のようなイメージになっていますが、

結局は商売なんで、嫌ならそもそも携帯使うなよ

いや、つか新機種買うなよって話で。

人よりも新しい機種もって

「ふっふ〜〜ん♪買っちゃった。てへっぺ〜ろ」とか言いたいんだったら

いいから黙って買えよって話なんです。

なんか色んなところでこれ問題視しまくっているけど

例えば「はい、半強制的に加入させろと言っています」

ってどこの企業が言うのよ?言うわけないじゃん。

でも半強制に決まってんじゃん。

もうさ、そんなガキみたいな重箱のすみっこつつく人は

とりあえず山手線の全駅でスピードテストでもしてりゃいいし。

と、ここまで販売会社側を庇う発言をしてきましたので最後に。

昔のピンサロじゃないんだから

オプション、オプションってうるせーな!

んな解りづらい販売スタイルとらずに

ポッキリでスッキリさせろよヴォケが!!!

以上。

2013/10/15

◯◯とお友達だということ

久しぶりにこちらのブログに書きます。

早速本題に入るのですが

よく初めてあった人などと話をするときに

「私実は◯◯とお友達なんですよ」

などという発言をよく聞きます。

この言葉を使うには大きくわけて2つの意図があると僕は考えています。

自分を大きく見せたい

割りと多いパターンがこちら。

芸能人やスポーツ選手などの著名な方と知り合いということを

単にアピールして自分はちょっとすごいんですよと

そんな風に見せたい人の場合よく使われます。

最近はテレビやラジオに出ている有名人以外にも

ちょっとしたネットの有名な方、ブロガーやニコ生主やTwitter廃人なんか

その種の方と知り合いであることをアピールして

例えば自分と付き合っていると得ですよって思わせたり

自分はちょっと他の人と違うと言いたかったりという感じでしょうか。

ちょっとした呑み会などで初めて会う方からたまに聞こえます。

ちょっとテレビ関係のお仕事をしていたのもあって

プチ芸能人やプチセレブみたいな人と会うこともしばしばあるのですが

そういったプチな人からたまに飛び出す発言で

大半は結局のところ自分のことが世間的に無名であるから

ちょっとした知り合いなんかを引き合いに出して

自分は他の人と違うとアピールしたいだけだったりします。

例えばそのプチな人も「あー!存じております。はじめまして!」と言うと

実はそんな発言しなかったりもするのですが

(誰だろ?)みたいな顔をしながら話をしてたり

話の中心がその人じゃないと突然アピールしてきたりという感じでしょうか。

そのこと自体は別に聞いた側からするとどうでもいいことだったりしますが

中には面白がって「すごいですねー!」っていう人がいたりするものですから

その人もついつい調子に乗って話してしまうところもあるのでしょう。

共通の知人探りをしたい

これもよくあるパターンとはいえます。

初めて会った同士なのでなかなか話が弾まずに

共通の知人を探ろうとした結果、著名な方と知り合いという名前をあげること。

この場合は確かに時折著名な人を軸にして

その著名な方の友人の友人だったりなどということがあって

なんだ繋がってるじゃないですか!ってなって

そこから仲良くなることはあります。

この場合はある程度著名な方の名前を出すことで

すごく薄いつながりでも実は繋がってるということを発見しやすいというのがあります。

著名な方はどうしても目立つので

その友人の友人という結局のところ何のつながりもない

そんなのいくらでもいるでしょ?的なつながりさえも

つながりという風に言ってしまうという人がいるおかげで

人類皆友達ということが起きるという大変ハッピーな構造です。

その話を聴く側の考え

本人的には前述したような考え、もしくは無意識で話をしているのですが

聞いてる側は、ものすごく冷めて聞いてることが多いです。

まず、一番最初にあげた『自分を大きく見せたい』という点でいうと

結局のところすごいのはアナタではなくて、その著名な方ですよね?っていうのを

大半の人が思いながら聞いているから。

むしろその著名な方を名前に挙げなくてはいけないくらい

あなたは自分に何もないのですか?と思われるので

むしろ逆効果になっていることもしばし。

例えば自分がした仕事としての成果として

著名な方と一緒に何かを作ったとか、

著名な方の薦めている商品を手がけたとか

そういうのであればむしろいいのでしょうが、

そうじゃなくて「友人」というだけでは

結局持って何の意味もないということ。

むしろそれで近寄ってくる人は、あなた自身に魅力を感じているのではなくて

その先にいる著名な方と繋がりたいだけなので

そんな人と仲良くなっても、最終的にはヤリ捨てされるだけだったりします。

カワイイ子と仲良くなるためにイケメンの友人の名前をあげたら

最終的にそのイケメンとカワイイ子が付き合うことになったみたいな。

まあ一晩のメイクラブが出来たことを喜べるならそれでもいいのですが

なんというか虚しいです。むなむなです。

そしてもうひとつの『共通の知人探し』という点においてですが

前述した通り、確かにそれでつながることもあるのですが

むしろ初対面でそういった発言をされると『この人怪しい』という印象を生む弊害もあります。

というのも、結局のところ自分自身のアピールポイントがない

つまりのところ、中身のない人なのに著名な方と知り合いというというのは

世間的には怪しい詐欺師に見えてしまうからです。

これは全くもって逆効果で、もしかしたら仲良くなれた人を

逆に遠ざけてしまうこともあるので要注意だとは思います。

自分の意見にイチを足していく

最初にあげた2つ以外でもたまにあるのがこれで

仕事なんかでたまに「実は私、◯◯とは前々から仲良しなんですよ」ってやつ。

パターンはいくつかあるのですが、

仕事などでお互いの意見をぶつけあっている時に

「私、◯◯と知り合いなんですが、彼も同じことを言ってました」なんという発言が飛び出す。

著名な方も同じ意見だということで

自分の意見にバイキルトをかけて意見を通そうというパターン。

今そこにいない、ヘタしたら自分は知らない人の意見を出されて

どうだすごいだろって言われても実際問題困るのですが

これを言われた時は、もうこの人と話しても平行線をたどる一方だと思いやめてしまうこともあります。

もちろん、現実問題仕事の上でこういった話し方をすることもあるでしょうが、

自分の意見を相手に伝えようとしている時に

これを持ち出すのは極力避けたいですよね。

「同じこと誰か他の人も言ってるの?」と言われたならいいのですが、

そうでない時に自分から持ち出すと基本的に聞いてる側は(だからどうした?)と

思っていることが多いのは事実です。

ヘタするとそこまで冷静に話していたにも関わらず

その一言が飛び出したことで逆鱗に触れることもあるでしょう。

実際、そのヒトコトが飛び出してイラッとしたことは僕もあります。

実際に友人ですか?

実際この手の話しをする上で一番問題だと思うのは

そういった著名な方の名前をすぐ出す人が本当にそのひとの友人なのか?ということ。

著名な方の友人であればきっとその人が名前を出さなくても

きっと友人であることは認識されていたりします。

にも関わらずいちいち名前を出さなくちゃいけないくらいだから

関係は薄かったりするのではないの?と世間は思っていますし

実際に友人どころか1回呑みの席で会ったことがある程度だったりします。

特に一番気をつけたいパターンが「◯◯とは親友なんですよ」というパターン。

『親友』って友人の中でも4番バッターとまでは言わないとしても

基本的にはレギュラーメンバーに入ってないといけないわけで

『親友』って呼べる人間なんて世間的にみたら3人もいたらいいくらい

むしろ3人でも多いくらいじゃないでしょうか?

そんな限られたメンバーに入れるってなかなかないことです。

いや、著名な方の親友なら前述した通り、話しなんかしなくてもみんな知ってるでしょう。

つまりは『親友』とかって言えば言うほど怪しさが増すわけで

しかも大体そういった人は他の著名人とも『親友』だといいます。

つまりこの人は、ちょっとした知り合いでも親友っていうレベルなのか

もしくは、ものすごーく人懐っこくて義理硬くて

ちょっとでも意気投合すればその人のために死ねるくらい情に厚いかのどっちかでしょう。

後者のタイプの人は多分そんな自慢みたいな話し方しないと思います。

不快に思わせることが多い

結局のところ、『怪しい』『自慢しているだけ』『だから何?』と

聴いてる側からすると不快に思わせることが多いということ。

「誰か有名人知り合いいないの?」と聞かれたならまだしも

聞いてもいないのに勝手に言い出す時は

聴いている側は不快にしか思っていないので

それまで良好に築かれつつあった関係を

一気に壊しかねないと思っています。

僕もきっとそういう話し方をしている時もあるんだろうなと

自戒の意味も込めて、もしそういう人がいたら

ちょっと一度自分の話し方を考えなおしてみたらどうでしょうか?

おせっかいかきからの余計なお世話でした。