ただ思うままに淡々と感じたことなどを綴るブログ「時々僕」: 4月 2015

2015/04/14

有名な方たちは人間が出来ていて素晴らしい限りだ。

こちらのブログに書くのは1年以上ぶりでしょうか。

過去に書いた記事も少ないのですが、なんだか昔書いたものをたまに眺めると面白いものですね。

この頃と何にも変わらずにへたっぴな文章を垂れ流し続けていて、方方から怒られる日々です。


さて、どこに書いていいか分からずに、そういえばここは時々僕の思うことを書く場所として立ち上げていたんだと思いだしたので、ふと、ここに書いてみる。


東京に来て6年がすぎ、徐々にこんな僕でも友人・知人が少しずつ増えてきた。

社会のゴミクズとして、自分が少しでも何かの役に立てるならと、飛び出してきた故郷。

一度死のうと思った4年前。

あの頃、もうどうせ死ぬのなら、まだ何かやれることがあるんじゃないかと、人間簡単に死なないと言ってたHIDEの言葉をなんとなく胸に刻んで今がある。


気づけば、相変わらずのクズっぷりだけど、それでも笑って許してくれる周りの人に支えられて、なんとか生きている。

誰かのためになるのならと生きてきた結果、結局誰かに支えられているという何ともお恥ずかしい顛末を繰り返すばかりなのですが、こんな僕でもたまに勉強熱心な時がある。


昔から、目立つのは嫌いなくせに、人前に出ることが多かった僕は、日常から一瞬解き放たれる『イベント』が大好きだ。

大きな音楽フェスや、講演・セミナー、そして誕生日会と、カタチはそれぞれだが、何かしらのイベントを催すのが好きだ。


自分が思い描くイベントストーリーが果たして、どれだけ人を楽しませることが出来るのかというのは、結局来るお客さんに委ねられるので、運営側が出来ることは70%ぐらいが限界で、実際は50%にも満たないくらいで、残りは結局来た人がどう楽しんでくれるか次第でイベントの成功は大きく左右すると思っている。


だからこそ、色んなイベントに行ける限りは積極的に行こうと思い、時折気づけば会場に自分の足が向いていることは、むしろ必然とも言えることだろう。


可能な限り俯瞰で体感するために、どんなイベントに行っても、知り合いに遭わない方が僕的には助かることが多い。

例えば、ちょっとしたトークイベントなんかにいって、知り合いがいるとついつい話してしまったりして、思わずイベント的にロスをすることは決して珍しくはない。

ただ、それもある種イベントに参加する人側の体験としては、決して間違っているものではないので、そこはひとつのモデルケースとしてよいと思っている。


ところが、イベント主催者やそこに参加者として来ているが、とても有名人な方がたまたま僕のことを知っている時は、その気配が変わる。


有名な方たちというものは、とにかく人間としてちゃんとしている人が多く、そのため僕のような無名な人間の顔ですら覚えてくれていたりする。

向こうが気づけば、必ず声をかけてくれるし、その場で話し込むこともある。

個人的には、とても嬉しいし、やっぱりこういう人が成功するんだよなと、自分の不甲斐なさを毎度喉の奥で味わいながら、キラキラとした有名人の人の笑顔に吸い込まれていく。


しかし、そうしていると、いつしか、そうした有名人の周りには人が集まってくる。

これが、とても困ったことで、僕みたいな無名のどうしようもない社会のクズみたいな人間の周りにも集まってくるのだ。

もちろん、お分かりの通り、僕の周りというよりは、その有名な方の周りに集まっているだけにすぎないが、そうしていると、徐々に僕の方にもそうした方たちがキラキラした眼差しで話しかけてくる。


これが、困った。


そのような鮮度の高い、まさにいけすから取り出したばかりのような魚の眼をされても、僕のような菜種油をしぼりとった後のカスのような人間からは、おそらく期待しているような何か面白い話も出てこないし、おそらく何にも役に立てるようなことはないので、申し訳ない気持ちで満載になる。


いや、もちろん、誰かの役に立ちたいと思っているとはいえ、そういう有名人の方の横にして向けられるキラキラには決して応えられそうもない。

さっき、その人が咥えたストローぐらいだったら用意できるかもしれないが、おそらくそんなクズ発言をしたら、なおさら失望し、その人はきっと侮蔑の眼差しで僕にこういうだろ「…」いや、言うんじゃないのか。無言で去るんだ。


ほら、クズとして出会っていれば、きっとかわいそうに思ってチョコボールのひとつでもくれるかもしれないし、なんだったら銀のエンジェルぐらい恵んでもらえるかもしれない。

けれど、この場合はむしろ「たりない残り1つの銀のエンジェルください」と言われているようなものだし、なんだったら最初から金のエンジェルを求めてきていることだってある。


おわかりだろうか。



わかるわけがない。

言ってることが無茶苦茶だからだ。


結局何が言いたいかというと、有名な方たちというのは、人間が出てきていて素晴らしいということだけだ。僕とは大違いだ。